Artist

ノルウェイ出身の4人組ロックバンド、120 Days。01年に結成、02年にオスロへ拠点を移してから、本格的に音楽活動を開始。04年にリリースした2枚のEPがノルウェイで話題となり、米Vice Recordsと契約。06年にアルバム『120 Days』をリリースした。「エレクトロニックとバンドサウンド」「ロックとダンス」が激しく交差し融合するアルバムは、ノルウェイ音楽業界が選ぶ昨年度の「アルバム・オブ・ザ・イヤー」を獲得。同時に英米のメディアが彼らのサウンドを絶賛、NME、ROLLING STONE、NEW YORK TIMESなどのメジャー誌が高評価するに至った。そしてこの夏、待望の日本デビュー、8月には「サマーソニック07」で初来日を果たす。

120 Daysのメンバーはノルウェイの北西部海岸にあるクリティアンスンという、人口1万7000人の小さな町で育った。ヴォーカルのオドネとドラムマシーンやエフェクトを担当するアルネは7歳のころからの知り合いだが、4人が最初に出会ったのは16歳くらいのときだという。最初、彼らに共通した趣味はサッカーだったが、10代になると音楽に興味をもちはじめた。そのころに大きな影響を受けたのはグランジ・ムーブメントだったという。そして12歳くらいのときに聞いたドアーズ、そして当時公開された映画「ドアーズ」(オリヴァー・ストーン)に惹かれたのだという。なかでも劇中に出てきるヴェルヴェット・アンダーグラウンドのシーンに興味をもち、彼らの「Venus in Furs」を聞いたときの衝撃は今までになかったものだという。「あのイントロがあまりに衝撃的だった。それが自分として成熟した音楽的趣向のきっかけだったと思う」とオドネは振り返る。 サッカーから音楽へ、興味の対象が移ったオドネは、アルネを誘い、バンドを結成。その後、シュテル(シンセ担当)、ユナス(ベース)が加わり、基礎が固まることになる。正式なバンド結成は2001年、当初のバンド名はThe Beautiful Peopleと名づけられた。結成の翌年に、彼らは首都オスロへと活動の拠点を移し、キャンピングカーで暮らしはじめたのだという。オスロ中のジャンキーが集まってくるなど、その生活は、けして優雅とはいえないものだったが、ここでの経験が、彼らの音楽性を決定付けた。

クラウトロックやサイケデリック・ミュージック、あるいはノイズ・ロックなどの影響と、アウトサイダーな環境が彼らのオリジナリティを確立させた。オドネによれば、「オスロは大きくて醜かったから、ノイズを出すしかなかった」のだという。曲作り、リハーサル、ツアーに明け暮れる毎日のなかで、徐々にオスロのアンダーグラウンド・シーンで120 Daysの名前は知られるようになる。そして04年に地元のレーベルと契約、2枚のEPをリリースし、レコード・デビューを果たすと、その後はヨーロッパを中心に活動の場を広げていく。その間、一時期、ヒェティルがバンドを離れるという危機もあったが、彼らの噂はアメリカに飛び火し、アメリカのインディー・レーベルVice Recordと契約を結ぶこととなる(ノルウェイはSmalltown Supersoud)。バンドにとって大きなターニングポイントとなった昨年、メンバーにとっても待望のデビュー・アルバム『120 Days』をリリース。ヨーロッパおよびアメリカでリリースされたアルバムは、各メディアから絶賛され、地元ノルウェイでは「アルバム・オブ・ザ・イヤー」に選ばれる。彼らの名前は瞬く間に世界中に広まっていき、英米のメディア(NME、ROLLING STONE、NEW YORK TIMES)で高く評価されることになる。

そのアルバムについてオドネは「凄くいい作品にしたかったっていうこと以外は、全ての曲が繋がって、流れを組んでいて、アルバムが単なる楽曲を集めたものではなく、ひとつの芸術作品として成り立つものにしたかった」と語る。また、彼らは、サイケデリック感覚あふれるサウンドスケープを展開するライヴにも定評があり、今年の「サウス・バイ・サウス・ウエスト」では、NMEが選ぶベストアクトのひとつとして紹介された。「とにかく何かを感じてくれることが大事。たとえ120 Daysの音楽嫌いでも、それはそれで新鮮。あまりに嫌いで、ライヴの後にわざわざそれを伝えに来たとしたら、それはそれで一つの達成感があると思う。とにかく、音楽から何かを感じ取ってもらいたい」(オドネ)。 次作はさらにいいものになる、と自信に満ち溢れた彼らは、今後のロック・シーンを大きく揺さぶる存在になるに違いない。

Adne Meisfjord / オドネ・マイスフィヨル (vocals, guitar, keyboards) / 23 May 1983
Kjetil Ovesen / ヒェティル・オーヴェセン (synthesizers) / 20 June 1982
Arne Stoy Kvalvik / アルネ・ストイ・クヴァルヴィーク (drummachine, effects) / 19 December 1983
Jonas Dahl / ヨーナス・ダール (bass) / 19 May 1983

biography

ノルウェイのとある島から飛び出したナイスでクリーンな生活を送るポップバンドが、なぜきたならしい、街をはうようなエレクトロニック・ロックなはぐれ者になり、堕落した暗い夜とクラウトロックと文学ポルノにはまったのだろうか。
ドラッグか? はたまた不況か? 大量のNeu!のレコードが小学校生活をはばんだせいなのか?
インタビューに答えるヴォーカルのオドネ・マイスフィヨル が、ドラッグや自殺、そしてなぜ彼らのエレクトロ・マエストロ、ヒェティル・オーヴェセンがパーソナルな理由で2006年の前半にバンドから離れていたのかといった質問を「その辺にはふれたくないんだノノ」とかわした。
120 Daysの過去に深い傷跡があることは確かだが、徹底的な外科手術なみのインタビューで聞けばいいことだ。
とりあえず今は彼らが白状した秘密をお教えしよう。Kristiansund島というホームタウンでティーンエイジャーの頃から学校の友達だったヨーナス・ダール、アルネ・ストイ・クヴァルヴィーク、ヒェティル・オーヴェセンとオドネ・マイスフィヨルは、2001年にThe Beautiful Peopleというポップグループを結成し、ロック人生を送ることになる。
観光客が集まるホテルのバーや島に一件しかないMuddy Waterというロック・クラブで演奏していた。Kristiansund島は、人口18000人のうち大半が漁師であり、彼らの唯一のエンターテイメントは金曜の夜に思いっきり酔っ払い、カバーバンドに物を投げつけることだ。The Beautiful Peopleが街を離れるには、長くはかからなかった。
オスロは魅力的だが、物価が高い地であった。街の建物に憧れたが、自分たちの住処は高額すぎて手が出なかった。その結果、2002年に資金を出し合いモーターホームを購入し、オスロまで運転し街のもっとも暗く危険な場所にある橋の上に車をとめた。その後、6ヶ月もの間、ここで過ごすことになる。オスロのジャンキーが陣取っていた場所をまた借りする形となった。「それ以上はいられなかったんだ。ジャンキーがドラッグをやるために、しょっちゅう押し入ってきたんだ」とオドネ・マイスフィヨル は言う。
まさにクラウトロックを地でいく場所だったため、クラウトロック風な音楽を作ることにしたのだ。その頃、シンプルなポップからエレクトロ・セックス・ロックに移行したターニングポイントが訪れた。キックドラムかドラムマシンを購入するため1000ポンドに値する額を手に入れ、結局ドラムマシンを買うことになった時だ。この出来事に加えて、暗い冬の日々に聴いた、彼らが尊敬してやまないクラフトワークのアルバムが影響したのは言うまでもない。
「クラフトワークはエレクトロニック・ミュージックへの大きなきっかけとなったんだ。いつも耳にするバンドではあるんだけど、ロック好きのガキの頃はシンセとかテクノって超ゲイっぽいよって思うんだ。でも実際はまると、なんて素晴らしくて完全な音楽なんだって感動するんだよね」 (オドネ・マイスフィヨル )。
そして、ちゃんとしたアパートを見つけ、クラフトワークとかNeu!とか色んな音楽でオーバードースしながら120 Daysを結成し、「1年くらいノイズみたいな音を作ってたね。オスロは思ったよりデカくて醜くかったから、ノイズを出すしかなかったんだ」。
そして、なんというノイズなんだろう。彼らはポップバンドの過去を捨て、クラフトワーク、Exterminator時代のプライマル・スクリーム、スピリチュアライズド、ピンクフロイドやオービタルを全部すりつぶしたような、変てこで汚らしい、アーバンな夜景を湛えたロックンロールを生み出したのだ。
そしてオスロのアングラシーンが彼らに気づき始めた。ノルウェイで長期間のツアーをこなし、オスロのクラブシーンで人気の存在となった頃、地元のPublic Demandレーベルが目をつけ2004年に2枚のシングルをリリース。スモールタウンの孤独を歌った「Sedated Times」、そして「The Beautiful People EP」。このEPには「So This Is Suicide(I donユt want to go into that)」とMarquis De Sadeの作品にふれた「Justine」が収録されている。 「De Sadeの文学ポルノとかFanny Hillみたいなくだらないものを結構読んでたんだ。男と女の間に起きる事を書くと、人生について色々と見えてくるんだ。StoogesのCan I Come Overの歌詞を読んでもわかるよ。シンプルだって思うかもしれないけど、案外正しいことを言ってると思う」
「The Beautiful People EP」をリリースする頃には、120 Daysからポップの要素は消滅していた。Come Out, Come Down, Fade Out, Be Gone-みじめなオスロのナイトライフでの徘徊やその後自己嫌悪に陥る姿(SleepwalkingやIユve Lost My Visionも聴いて欲しい。)が、Cureのようなポップチューンとともにエレクトロニックサウンドで、腐った甘い汁のように濃くそしてバイオレントに描写されている。そしてキーボードプレイヤーが予期せぬ(いまだに釈明がない)休暇をとっている間に、バンドは海外に目を向けるようになった。そしてスペインでのSonar Festivalに呼ばれ、2005年にはイギリスのCarling Weekendにも参加した。
海外からの注目が地元でも知れ渡り、夢であったノルウェイのSmalltown Supersound (アメリカではVice Records)と契約を果たし、キーボードプレイヤーを呼び戻した。そして、このエレクトロでロックなデビューアルバムを完成させた。
デビューアルバムはポップな要素を削り落とし、ロックとダンス全開なサウンドに仕上がっている。エレクトロニックと激しいロックが融合し、ポップなフックが見え隠れする120 Daysはアメリカではすでに話題となっており、3月と4月はRatatatとともに、ツアーをしている。
彼らのサウンドは昼間目が覚めきっているときには、悪夢のような音楽かもしれない。夜に聴いて彼らの音にはまれば、もう元には戻れないだろう。