イギリスの港湾都市、ブリストル出身の、現在25歳。幼少期をロンドン直北の街、ハートフォードシャーで過ごした彼はオーケストラや合唱隊でクラシックの教育を受けていたが、10歳の時にブートのレイブ・ミックス・テープでドラムンベースと出会い、そして、ドクター・ドレーが在籍していたことでも知られるN.W.A.の名作『Straight Outta Compton』でヒップホップの洗礼を受けたことで、18歳までクラシックとストリートを行き来する音楽的な二重生活を送っていたという。
「クラッシクの勉強をしたおかげで音感が良くなったと思う。ぼくはそもそも音符を読むのは得意ではなかった。クラッシク音楽を演奏していたけど、ぼくは楽譜なしで演奏をしていた。楽譜を読むよりもコードの反復進行を聴いて音楽を理解できるようになったんだ。でもぼくは音楽が得意だったからイギリスの学校へ行くのに奨学金を受けられたんだ。自分は同じ学校の他の子たちとはバックグラウンドが違ったので、違和感があったよ。日中は学校でオーケストラや合唱隊で演奏し、その後の食事の席ではクラシック音楽の話しばかりだった。ぼくはその中にいて退屈で、他の音楽の話しをしたくて仕方がなかったんだから、学校の友達や雰囲気には馴染めなかった。学校を卒業してからは良かったよ(笑)」(ベン・ウェストビーチ)。 ドラムンベースのトラック・メイカー、Shy FXのもとでトラック・メイクを学んだ彼はビート・ミュージックへの更なる思いを募らせると、ロンドンの大学を中退し、ロニ・サイズに象徴されるドラムンベース・シーンを育んできたブリストルに移住。かの地でその音楽キャリアを本格的にスタートさせた。
「ドラムンベースは前から大好きなんだ。元々レイヴ・テープから好きになって、(ドラムンベースは)これからも好きでいるだろうし、自分でも作っていく音楽だと思う。子供の頃から興味があった。18歳の頃にやりたいと思った音楽はジャングルとドラムンベースだった。ブリストルに移った頃に(音楽的)関心があったのはそれだけだったんだよ。偶然にも自分で歌や音楽を作るようになって、当時はドラムンベースのプロデューサーになりたかった。今はそれだけではなく他の音楽もやっているけど、ドラムンベースはこれからも手掛けていく音楽だ。ドラムンベースのエネルギーや、(ドラムンベースの)パーティーや(ドラムンベースに関わる)人たちが好きなんだ」。
新しい街、ブリストルで、彼はSirplusやKelzといったMC、移住前から知り合いだったドラムンベースのトラック・メイカーClipz、はたまた、ロニ・サイズやDieらFull Cycleクルーと交流を深め、Sirplusとは結果的に未発に終わったヒップホップ・アルバムを制作する。
「ブリストルに移ってからぼくのキャリアがスタートしたし、ファースト・アルバムを作ったから思い入れのある街だよ。ブリストルは楽しくて、人もパーティーも好きなんだ。何かしら雰囲気があるというか。ブリストルは、オリジナルな街で、トレンドを追いかけずに自分なりことをやり続ける傾向にある。ユニークなサウンド(を作りだす何か)があると思う」
その後、2006年に第1弾シングルとしてリリースされることになる「So Good Today」を皮切りに、自宅のベッド・ルームで友人の親から借金をして手に入れたコンピュータを用いての自作曲制作を開始。6曲を作った時点で、その作品をアルバムへと膨らませることにしたという。そんな折、トーキング・ラウド以来の新レーベル、ブラウンズウッド・レコーディングスを立ち上げようとするジャイルス・ピーターソンの耳にベンの音楽が耳に入った。その後まもなく、世界各国で放送されている自身の番組で紹介、正式なリリースを待たずして、シングルは2005年Worldwide Awardsで最優秀シングルの5位に選ばれ、その年最もセクシーなダンス・フロア・アンセムとなった。 ジャイルスはベンを「ポップとソウルのクロスオーヴァーを最良の形で体現するアーティスト」と絶賛し、リリースしたのが今回のデビューアルバムとなる。「ベン・ウェストビーチはもっとポップとソウルのクロスオーヴァーだよね。彼もまた彼の音楽に向かう姿勢、彼の尖ったところ、彼が書く曲が気に入ったんだ。彼には何か特別なものがある。面白いものになるんじゃないかな。彼はいい曲を書くしね。どんなジャンルをやっていようと関係ないんだ。いい曲が書ければどこでも通用する」(ジャイルス・ピーターソン)。