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[コートニー・バーネット] オフィシャル・バイオグラフィ 全文訳

—May.8.2017 23:45:56

COURTNEY BARNETT-01
コートニー・バーネット
『テル・ミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール』アルバム・バイオグラフィ
ブローディ・ランカスター著
CourtneyBarnett 07 - Colour_Square (credit Pooneh Ghana) - Low

「心が壊れたなら、それを芸術へと作り変えなさい」故キャリー・フィッシャーによるこの切迫した、共感を呼ぶ励ましの言葉が、コートニー・バーネットのセカンド・アルバム『テル・ミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール』の1曲目“Hopefulessness”の冒頭に登場する。

かつてノーラ・エフロンが脚本家たちに「全てはコピー」(注釈あり*)、即ちあらゆる経験、感情、裏切り、腑に落ちない違和感はいつの日か作品を作る上で題材になるポテンシャルを秘めているのだと念を押したように、この真言はバーネットの刺激に満ちた新作における所信表明となっている。「自分の弱さも恐れるものも全て、他の人の手中に収まるように縒り合わせるのだ」という。

実は自分が、些細な形でこそあれ、それをずっと実践していたということを、バーネット自身8週間に渡る“気功”のコミュニティコースを受講するまで自覚していなかった。「子供の頃によくやっていたことを思い出したの」彼女は振り返る。「世界中に蔓延る苦しみを全て吸い込んで、それを自分の体内で感じて、平和で綺麗なエネルギーとして吐き出そうとしたの」

芝生や壁、泳ぐ人や台所の飾りを眺めながら愛や人間、生と死についての深い発見を描いてみせた2015年発表の『サムタイムス・アイ・シット・アンド・シンク、サムタイムス・アイ・ジャスト・シット』で彼女のトレードマークともなった細部への観察眼は、新作でも“Help Your Self”の中で垣間見られる。ちなみにこの曲のタイトルは、自宅付近のメルボルン市内北部にある太極拳教室に置いてあるチラシの山の貼り紙を目にしたのに由来する。「上手くできた完璧な掛け言葉ね」とバーネットは微笑む。(「ご自由にどうぞ」という意味と「自己向上のために」という意味)

ただ、今作における彼女の歌詞は全体を通して内面に目が向けられている。その視線を内側に向け、世界とそこに住む人々が彼女自身にどのような影響を与えているのかを観察している。『テル・ミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール』を聞いていると、周りが急速に変化する中でバーネットがどのように順応し、揺るがずにいられるかを曲ごとに模索している様子が容易に想像できる。

2016年に『サムタイムス・アイ・シット・アンド・シンク、サムタイムス・アイ・ジャスト・シット』のツアーを南米で締めくくった後間もなく曲作りを開始し、一人でピアノで書いた曲をレコーディングするためにニュー・サウス・ウェールズ沿岸中央にあるThe Groveスタジオに向かった。「あまり手応えは感じられなかった。ただスタジオに行って、机に座って、自分の中のちょっとした不安と向き合いながらひたすら書き続けた。気づいたら、ドラム、ベース、キーボードと全ての楽器を自分一人で弾きながら何曲も肉付けして仕上げて行ってた。ゴムの木に囲まれながら、私とプロデューサーのバーク・リードで全て進めた。楽しかったわ」

コートニーがカート・ヴァイルと2017年に発表した『ロッタ・シー・ライス』のファースト・シングルとなる“Over Everything”の歌詞のやり取りを始めた際、彼女が自身の新作に向けた曲作りで苦労していることを彼は直ぐに察した。<When I’m struggling with my songs I do the same thing too / And then I crunch em up in headphones cause why wouldn’t you?曲作りで煮詰まった時に私も同じことをやるわ/ヘッドホンで歪ませる、やらない理由はないでしょ?>という歌詞について彼女は「あの歌詞が彼から私へ、或いは私から彼へ、もしかしたら双方からの無意識のメッセージだったのかは今でもわからない。あのプロジェクトは絶好のタイミングだったと思う。とにかく確信が持てずにいたから。人との出会いのタイミングって、理由があっての巡り合わせなのだと思う」

曲が書けないということよりもむしろコートニーの場合、自分が伝えたいことを全て集約し、それらを理にかなった形でまとめることにプレッシャーを感じていた。「既に世に出している楽曲群にただ新たな曲を加えるだけというのは嫌だった」彼女は言う。「自分にとって意味のあるもの、意図があるものを書きたかった」謙虚な彼女は決して口に出さないだろうし、そう考えないように敢えてしているかもしれないが、自分が取り組んでいる楽曲が人々に聞かれ、ツアーで演奏され、批評され、じっくり研究され、賞賛されたデビュー作と比較されるとわかった上で作るということは、彼女の言葉を借りるなら「貴重な言葉を無駄にしない」ことへの相当なプレッシャーがあっただろう。

ヴァイル、そしてコートニーのパートナーでありコートニーがバンドでギタリストを務めるジェン・クロアーとの共演を通じて彼女は自分を蝕みつつあった新作に対して適度な距離を置き、全体像を見ることができるようになった。「(共演は)考え方も違うし、脳を柔軟に保つことができた。ジェンと演奏している時は、抑揚を作る音色を加え、歌詞の世界感を支えることに集中すればよかった。何ごとも歌を引き立てるためなのだと言うことを常に思い出させられた」ヴァイルとは、気の合う者同士アイディアのキャッチボールができたことと、大陸を跨いだ共演者との差し迫るスタジオ時間によって行動を起こすことを強いられた。「『まだ準備できてないけど、やらなきゃ』と思った。ついつい先延ばしにしてしまうのを防ぐ上手いやり方ね」

The Groveで録音したものを寝かせてから9ヶ月経った2017年の冬、彼女はセカンド・アルバムの礎となる音源と再び向き合う覚悟ができた。そうするにあたって彼女は信頼を寄せるバンドの仲間に声を掛けた。ベースのボーンズ・スローン、ドラムのデイヴ・マディ、キーボード/シンセ/ギターを操るダン・ラスコンビらとプロデューサーのバーク・リード。三年前に彼女のデビュー作のレコーディングに集まったのと全く同じ面子である。

実際、『テル・ミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール』のクレジットで前作にない名前は“Crippling Self Doubt And A General Lack Of Confidence”にボーカルで参加しているザ・ブリーダーズのケリー・ディールと、同曲で「ちょっとしたギター・パート」を弾き、リード・シングル“Nameless, Faceless”にもバック・コーラスで参加している妹のキム・ディールのみである。(その前年にオハイオを訪れた際にバーネットはザ・ブリーダーズの新作『オール・ナーヴ』収録の“Howl at the Summer”にバック・コーラスで参加している)




その“Nameless, Faceless”は、コートニーの伝えたいことへの確信と聞き手がいると言う自覚が合わさり、女性が男性と対峙する際に取り合わなくてはならない暴力と威嚇という日々の現実を描いた際立った一曲である。コートニーがこれまで発表した中で最も明確に政治的でありながら、他の曲同様、キャッチーだけど影があり、メロディアスだけどグランジっぽい、全てを兼ね備えている。何よりも、実際はその真逆であるのにも関わらず、全くもって楽々と書いたように聞こえるところが見事である。

「私にとって曲作りは、明確な表現を長い時間掛けてゆっくりと見出すゲームなの。このアルバムは、私なりに人間の行動と心理学の基礎を学ぶ入門編だった。色々な疑問や見解全てを、また別の止め処ない思考へと枝分かれしてしまう前に、どうやって一つの意味の通じる歌にするか、という」

内なる葛藤に駆り立てられたにも関わらず、この世界に存在する感覚をつづったコートニーの曲はこのアルバムにおいて砂に刺さった象徴的な旗のようである。それらは彼女が許せないと考え、感じているものへの音による宣言である。“I’m Not Your Mother, I’m Not Your Bitch”で彼女は、<put up with so much shitあまりに多くの戯言に我慢すること>を期待されることに明らかに辟易し、怒鳴り、問い詰め、罵る。

これほど激しい炎を有している曲となれば、聞き手に深読みされ、誤解されるであろうことを既に彼女は予測している。「あの曲には二つの違うあらすじがあって。私の視点であると同時に、私に向けられている部分もある。男性ジャーナリストたちは、当然男性について書いたんだろうと思っていて、フロイト的仮説としては「ごもっとも」だと思うんだけど、そこまで限定されたものではないわ。と言いつつ、ある歌を聞いて自分に当てはまると思うのなら、それは多分当たってるということでしょうね」




『テル・ミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール』のまた別の曲“City Looks Pretty”は、彼女が20代初めにヘレン・ガーナーの独創性に富んだメルボルンが舞台の著書『Monkey Grip』を読みながら書き始めたという、我が家と心地良さについての熟考である。「書き始めたんだけど、他の多くの曲がそうであるように、一旦中断して他の曲に取り掛かったの」10年近く前、彼女は抗うつ剤の服用量を変え、部屋から一歩も出ないか長い散歩に出掛けるか迷い、恋人に居場所がわからないと心配された。「見知らぬ人たちと思い掛けず話し込むこともあり、それが最も近しい友情よりも親密に感じられた」

この経験が<Friends treat you like a stranger and / Strangers treat you like their best friend, oh well 友達は自分を他人のように扱い/他人は親友のように扱ってくれる、まぁいいけど>という歌詞を書く直接のきっかけとなった。その何年も後、世界をツアーし、自身の音楽で賞賛を浴びるようになり、帰郷することの意味が大きく変わった一方、本質的にはほとんど変わっていないことに彼女は気付く。「この歌詞を今読み返すと当然当時とは全く違う意味合いを持つようになった。色々な場所を旅して戻ってくると、一番親しいはずの人たちと妙な距離感を感じるようになった」

その違和感を克服するためにコートニーは新作を作るにあたり自分が納得でき、実感できるものを大事にした。それはすなわち、メルボルンの自宅であり、その近所にあるスタジオであり、少数の信頼できる顔見知りの共演者たちである。「このアルバムは意思の疎通と断絶、希望と不安についての作品であり、人間関係、友情、そしてコミュニティーについての作品よ」彼女は自分が全てに納得できるまで応用し、探求し、実験を繰り返した。全てを飲み込んだ後、今ようやくこの素晴らしい作品という形で発信する準備が整ったのだ。

*ノーラ・エフロンは著名なアメリカの脚本家・映画監督(『恋人たちの予感』『めぐり会えたら』など)2013年にHBOが製作した彼女を題材としたドキュメンタリーが『Everything is Copy』というタイトルだった。

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