1. Top >
  2. News


ローラ・マーリング、新作まとめ。英国新世代フォーク界の妖精ローラ・マーリングの6枚目のニュー・アルバム『センパー・フェミナ』がグラミー賞にノミネート!。

—November.27.2017 15:10:32

iTunes Amazon Tower Records HMV Spotify
laura-marling-credit-hollie-fernando-small




ボブ・ディランの「はげしい雨が降る」をカヴァー。BBCの人気TVドラマシリーズ Peaky Blinders 挿入歌。




全世界で大絶賛のニュー・アルバム『センパー・フェミナ』。
2018年グラミー賞の「最優秀フォーク・アルバム」部門にノミネート。 リスト詳細はこちら。
NME – 5⭐
The Independent – 5⭐
ガーディアン- 4⭐
Q Magazine – 4⭐
UNCUT – 4⭐
Pitchfork – 7.7

「女性の魅力を豊かに描いた、英国を代表するシンガーソングライターによる作品」ー Qマガジン 

Mikiki レビュー 「アラバマ・シェイクスら手掛けたブレイク・ミルズと制作、UK屈指のSSWローラ・マーリングが官能的サウンドで紡ぐ女性の情念」 記事はこちら。

リリースした いずれの作品も年間ベスト上位に選ばれ、セールスは常に全英チャートのトップ10にランクインと、名実共にイギリスを代表するシンガーソングライターとなったローラ・マーリング。弱冠18才でデビューし現在26才の彼女の新作『センパー・フェミナ』は、自身のレーベルMore Alarming Recordsよりリリースされる。レコーディングは、プロデューサーにブレイク・ミルズ(アラバマ・シェイクスなど)を迎え、2015年後半にLAで行われた。
本作は、前作『ショート・ムーヴィー』(2015年)リリース後のツアー中に書かれた曲が中心となっている。
鋭くフレッシュな彼女の視点で捉えた女性らしさというもの、また社会がどのようにセクシャリティーやジェンダーというものをみているのか、その問いかけをしている作品である。それに関して明確な答えをむやみに出そうとするものではなく、一人の人間としての学びや成長といった自己発見の旅を詩的に紡ぎ出した作品となっている。
アルバム・タイトルの『センパー・フェミナ』とは、「常に一人の女性である」という意味。古代ローマの詩人ウェルギリウスの有名な詩「アエネーイス」の一節より引用した。

《VIDEOS》

このヴィデオは、ローラ・マーリング自身が初めて監督をつとめたミュージック・ヴィデオ。彼女がアルバムを制作している間に見た夢にインスピレーションを得て制作された。
・ミュージック・ヴィデオ一覧はこちらより。
・BBCでのスタジオライヴ映像はこちらより。
《アルバム概要》
packshot_album-small
『センパー・フェミナ』 2017.3.10 OUT
詳細はこちらにて。

Laura Marling_A写2_small
《プレス・リリース訳》
古代ローマの詩人ウェルギリウスの有名な詩「アエネーイス」の一節を、およそ十年前にローラ・マーリングは自身の足にタトゥーとして遺そうと決めた。「Varium et mutabile semper femina」大まかに訳すと「ある女性は絶えず気まぐれで移り気である」その一節を足に彫るにはちょっと長すぎると気づいた彼女は最終的にはその一節を省略して「Semper femina」とだけタトゥーを施した。つまり「常に一人の女性である」という意味。マーリングの6枚目のアルバムタイトルとしてそれは魅力的なタイトルとしてフィットした。彼女が現在までに書いた素晴らしい作品の中で女性にまつわる関係、それに女性という概念にクローズアップし詳しく掘り下げた言葉であった。前作2015年の『ショート・ムーヴィー』のツアー中に大半の曲が書かれ、LAでブレイク・ミルズのプロデュースでレコーディングされたこの作品は、音楽的にも一聴して傑出した賞賛すべき曲が集められたもので、マーリングの強烈なインテリジェンス、つまり鋭く、美しく誰も真似することのできない女性としての覚悟が全編を貫いている。
「私が最初書こうとしてたのは、あたかも男性が女性について書くような形だったの」とマーリングが語る。「そしてわかったのが、実はこれは男性でなくて私だ、と。女性のことを見たり感じたるするその表現の上で、別に私が男性を装う必要はないし。女性に注視し、彼女たちに大きな共感を感じるのは私で、いわばそれらは私自身に向けたものでもあるの」。

今回の楽曲の数々が生まれたのはマーリング曰く、彼女の人生の中でも“男性的な期間”であったという。「ツアー中で女性らしさもかなぐり捨てた最中の時期だった」と。「今思い返すと当時私はかなり強くなってたのね、LAに住んでたし、あの場所は女性らしさを無くさせるには格好の雰囲気を持ってるの。私はそれがわかってすごく怖かった。自分のフェミニンな側面が消え去っていることを認めること、それにすごく恐怖を覚えたの。でもそのおかげで、女性を別の角度で見ることができるような能力が備わったし、それまでどのように自分が女性を見ていたかを思い直すことにも繋がったの」。

思い起こすと、彼女の人生におけるこの奇妙な時期に対する前兆があった。前作『ショート・ムーヴィー』がエゴ(自我)の解体を扱っていたからで、「それでバラバラにしたピースを再びつなぎ合わせて一つのエゴにしたら、それがいろんなピースが集まって出来てるんだって、みんなが理解すると思ったの」と語る彼女。「またそれと一緒にあるのはLAに住んでいるという不思議な現実」。LAでその後数年過ごしたマーリングは現在、イギリスとカリフォルニアの両方の場所で時間を過ごしている。「LAはイギリスとは全然違う雰囲気ね」と語る彼女。「LA熱もある意味冷めて今は自分の家を離れたくないし、そもそも友達も今イギリス人だし。最高の場所なんだけど魅惑的、幻想的な冒険はもういいかな。それと、あの選挙(BREXIT)が私をイギリスの家に戻したんだわ」。
マーリングの女性概念の探求はさらに優しさを帯びて広がっていく。アルバム収録曲「Wild Once」などは、彼女が興味を持ったワイルド・ウーマンの原型や彼女の解放された身体性に関してのものである。「私のますます旺盛になっていく男性的な時期にハイキングやボルダリング、木をはじめ何でもよじ登ったりしてハマってたの」と説明する彼女。「それまで長い間、運動なんてやってなかったから、すごく魅力的に感じたのね。何かに触れるってすごく素晴らしくて純粋なことだし。道に迷ってどこにいるかわからない時に、ビッグ・サー沿いの森を裸足で横断したことがあったわ」。
他にも彼女が注目しているのは「私がそれまでいけないと思ってきた、あらゆる形の女性同士の関係、お互いに対する女性同士の共感や強固な友人関係」だという。「On The Valley」を例にあげると、彼女曰く「ちょっとしたイギリス人のノスタルジックな旅行」。彼女が書くのは「壊れてしまった女同士の友人関係、裏切られたり、友人を裏切ったり、一人の女性としてそれらをどのように感じるのか」。
女性の友人関係における本質は、マーリングにとって長年の興味の的であった。「そしてまたその壁を乗り越えればさらに分からなくなってくるのね。ロマンスや性的な愛情と違って”友情に恋する”というのは定義付けがかなり難しいの。私がいつも取り憑かれている問題がそれなんだけど」と語る彼女。「というのは、私には姉妹がいて、母親もいる。だから私の身の周りにはひときわ信頼度の高い関係や思いやりがあって、だから女友達にも同じように感じるの。私たちはお互いものすごく高いレベルで共感し合っているのね。だから一旦それが壊れたらそれはもう強烈としか言いようがなくて。それに私が申し訳ないと思うのは大体の場面で私がすごくうっかりしてるってことなの。今までそれが歌の題材になるなんて思ってもいなかったんだけど、その悲しみや後悔の思いに一歩足を踏み入れてしまったら、もしくはそれに相対する側の気持ちになったら、と思うとそれは素晴らしい題材になるってわかったの。だからそういう気持ちがこのアルバムにはたくさん詰まってるわ。そしてその壊れた気持ちの数々を修復しようとした作品でもあるの」。
彼女はまたルー・アンドレアス・ザロメという心理分析学者の人生にも心惹かれた。「私が偶然彼女のことを知ったのはリルケが書いた一通のラヴレターを通してだったの」と語るマーリング。「その頃私はリルケに夢中で、彼は彼女を自分の人生で初めて出会った唯一実在に足る人物と書いていた。有名なその一説に“You alone are real to me”(あなただけが私にとって唯一の真実)と書いているの」マーリングはザロメをもっと詳しく調べていった。彼女の育ったロシア時代から彼女が過ごした知的、ロマンチック双方の関係、例えばパウル・レー、フリードリヒ・ニーチェそれにジークムント・フロイト、未完成の結婚と言えるフリードリヒ・カール・アンドレアス、それに作品「ドゥイノの悲歌」まで繋がったリルケとの情熱的な関係まで。
これらのような有名男性との関係はもとより、マーリングが特別興味を持ったのは、彼女の持つ精神分析の能力であった。「フロイトが死ぬ前に、彼女が手紙で彼に書いたのは『女性心理に関して私がいくつか調べてきてわかったのは、あなたの考えは根本的に間違っている』というものだった。ペニス願望などは男性が作ったもので女性の性というものは本来胎内にあり永遠の象徴。なのでどこにも男根を喪失しているとか欲しいなどという考えはなく、この胎内にあるのは男性にはない女性が生まれ持った創造的なもの」だと。対してフロイトが彼女に宛てて書いた手紙には“その(君の)考えは素晴らしく、まさしく真実だ”とあったの。その二ヶ月後に彼が亡くなったこともあり、そのことは一度も公にはなっていないけど、このことを知って私はぶっ飛んだわ。考えてもみて!まさにそれは西洋の心理学が180度変わるような出来事だったんだから。
このような考えをさらに具現化したのがマーリングが現在行なっているポッドキャスティングプロジェクトのReversal of the Museであり、そこでは彼女自身が音楽産業を通して女性たちにインタビューを行っているものである 。著名なところではドリー・パートンやエミルー・ハリス、他には女性サウンドエンジニアやギターショップの女店主等と一緒に自然、それに女性が創る物のかたちなどを議論している。「私が言いたいのはフェミニン・クリエイティヴィティ(女性的創造)、脳の女性的部分は男性女性の双方にあるけれども、全くもって(脳の)男性的なものは異なったものなの」と語る彼女。「私にとってギターを弾くのはわたしのアイデンティティとつながっていて、私自身の中に内包されてるの。魅力的な人を導き入れるよりよっぽど大事」。
『ショート・ムーヴィー』を自身でプロデユースしながらも、マーリングはブレイク・ミルズを『センパー・フェミナ』のプロデューサーとして迎えようと決めた。「確かにプロデュースは楽しかったけど、ちょっとこれは私向きじゃないなと思ったの」と語る彼女。「誰か他の人のためだったらプロデュースもいいけど、自分自身のプロデュースという両方の役割をやるのは相当難しかったの。ポッドキャストをやっていてわかったのは、私は一人の人間として繊細さとはかけ離れた役割をそこでやっていて、とても繊細な歌をマイク一本の前で歌うのに周りに六人もの人間がコントロールルームにいるなんて。これはすごく変な環境なんだけど、私には結構やりやすいみたい。大体のソングライターは作曲中に自分の近くをうろつかれるのが嫌だと思うんだけど、私は全然平気ね。ライヴ会場でも曲を書くし、楽屋で中に八人くらいいても大丈夫。スリリングで半ば覗き見的なところもあるし。だけど、自分にしか聞こえないような感じでものづくりするんだったら、とかそういうアイデアは大好きよ」。
プロデューサーを探しながら、すでに彼の音楽のファンだったこと、ミルズが自分が一緒に仕事をしたい人間のリストというものがあって、彼女がそのリストにすでに載っていることを教えてもらったのだった。このことはレコーディングがいつも順調にいくことを示すものではなく、新しい男性のプロデューサーを迎えることがマーリングによくある挑戦をもたらしたのだった。「思うに彼はイギリス人の女の子と仕事をすることがあんまりよくわかってなかったのね」と彼女。「彼の私に対する作られたイメージを払拭するのに一、二週間かかったの 〜 (物語の)Emmaに出てくるような田舎の遠慮がちな女の子がうまく成功していくようなキャラ、ね。それまでにも同じように見られたことはたくさんあったし。またある程度私にそのようなイメージを持ってくれててもいいけど、一方で仕事をちゃんと仕上げるためにはそのイメージを取り払わないとダメだし、というのも誰でも自分と自分がやりたいことの間にすごく大きな壁があると思うの。私にとっても自分のレコードを作る上で遠慮という概念を取り払わなきゃならなかった」。
『センパー・フェミナ』において何よりも多くマーリングが指し示しているものが、一人の女性であることの認識と現実の間を占める空間(ギャップ)であり、そのギャップの中で女性たちはか弱い存在ではなく、むしろパワフルで創造的で豊かな象徴である。「私が10代の時の頭の中では、女性は繊細で悲劇的存在もしくは女神的なものだった」と語る彼女。「そして両者はともに恐ろしいくらい従属的な役割なの。だけど私たちの文化は女性の悲劇が好きみたいね。何度となく繰り返される根深い問題で、それと相対する例などあまり出てきてないし。私が今回主に集中してるのは悲劇的な女性という概念を今一度書き直していることね」。
マーリングの言葉が刺激的に響くのであれば、それはこのアルバムが彼女のキャリアの中で転換点を示すものであるからだ。「私たちが今生きているこの時代や、その政治的情勢において、私たちはあるポイントに差し掛かっている、そのポイントというのは、私が今までやってきたような芸術表現なんかが必要とされなくなっているということ」と語る彼女。「ピュアな創造表現というものがこの十年で少しばかり開花したのかもしれないけど、私も年齢を重ねていくにつれ思うようになったのが、“それらに何の意味があるの?”ということ。何かに根ざすものでも、何かを指し示しているものでも政治的なものでもないものにね。今の私にとってより大事に思えるのは、私という人間が実際に有益な存在であるということなの」。

Old Entries